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もっとおいしいお話し

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望月接骨院の内覧会

今日は、

富士市伝法に移転することになった【望月接骨院】の内覧会に行って来ました。

こちらの院長は、自分の中学、高校でもある【静岡聖光学院】の大先輩にあたり、

柔和な表情が特徴的な方で、院長は4期生で、自分が15期生ですので、自分なんぞは、ペーペーもペーペーです。

院内には、

院長の同級生の方達から送られた胡蝶蘭があり、

先輩達の傍に、

自分も、お花(プリザーブドフラワー)を置かせて頂くことにしました。

内覧会ですので、院内を拝見させて頂くことにし、

足湯や、

ウォーターベッド型のマッサージ器があり、院長に促され、

体験させてもらったところ、心地よさのあまり、寝てしまいそうでした。

院内には、

リハビリ室があり、中では、

院長の奥さんの指導の下、 セラサイズと呼ばれるエクササイズの体験レッスンが行われていました。

ところで、母校である【静岡聖光学院】についてというか、1つ上の先輩達が来て下さった時にもお話ししたように、というより、全くのコピペとなってしましまいますが、おぼっちゃん学校などと言われ、在校時代、そして卒業後の長い間、校名を誇りをもって言うようなことはありませんでした。

しかしながら、近くの先輩が新しいことにチャレンジすることは、後輩としては励みであるだけでなく、自らを奮い立たせてくれることにもなります。

ましてや、接骨院だけに、心が折れたり、挫けることがあっても、困難に立ち向かうべき姿勢を失うわけにはいきません。

先輩の頑張りを改めて感じ、自分が未熟で、さらに精進し、後輩にその道を示さなければならないことを、再認識しました。

特に、 今年は創立50周年ということもあり、 母校の伝統と名を、汚(けが)すことなく、真摯に生きなくてはならないことを誓い、明日からも、自らの道を歩き続けます。

久々に、宇野昌磨のコーチ

後片付けの合間に、テレビを観たら、世界フィギュアスケート選手権の中継が行われており、演技を行っていたのは、昨年の平昌オリンピックの銀メダリストの宇野晶磨選手でした。

自分は、彼のファンというより、彼のコーチのファンで、

写真に収め、facebookに投稿したところ、ちょっとばかり盛り上がり、所謂“facebook”友達でなくても、御覧になれるので、興味のある方は、こちらを・・・。

また、昨年のオリンピックで宇野選手が銀メダルを獲得した時には、ブログにも書いた次第で、熱烈までとはいかなくても、フィギュアスケートの大会が行われると、コーチが登場するのを期待しています。

いずれ、宇野選手は引退するのですが、その後も、誰かというより、有望な選手のコーチでいて欲しい限りでなりません。

とはいうものの、自分にとっての一番は、

天然のとらふぐですが、やはり、一番なのは、

日々、陰日向となり、仕事をしてくれる女将兼愛妻(!?)の真由美さんということにしておきましょう!?(笑)

おニャン子クラブの解散理由

仕事柄、テレビを観る機会が少ないのですが、たまたま観ていた番組宣伝で、紅顔の美少年(!?)だった頃、はまりにはまりまくったアイドルグループのおニャン子クラブの解散理由が、昨日放送されることを知り、録画をしました。

 

どれくらいはまったかと言うと、小遣いの殆どを、レコードやCD、写真集、雑誌、ビデオなどに費やしたのですが、グループ自体も好きだったのは勿論のこと、個人では、

国生さゆりで、コンサートに行っただけでなく、ファンクラブにも入っており、さらに言うと、その名残で、今現在、国生さゆりのTwitterもフォローしています。

 

ご存じの方も多いかもしれませんが、おニャン子クラブは、テレビ番組【夕やけニャンニャン】に出演しており、放送時は、それこそテレビに釘付けでした。

 

さて、録画した番組を観始めると、お目当てのおニャン子クラブのコーナーまでは、

全て飛ばし、

幾つかの理由が流れてきました。

 

先ずは、

【夕やけニャンニャン】の終了により、

結果的に、

解散となったことです。

 

また、別の理由は、

番組終了後のメンバーの処遇というか、

所属の問題で、

自ずと、解散ということになったことでした。

 

そして、グループ内には、芸能プロダクションと契約していた所謂芸能人もいれば、

ごく普通の女子高生もいたように、複雑な環境によることも、解散理由とのことでした。

 

解散理由以外には、

楽屋内のエピソードもありましたが、泣いていたのは、グループ内のいじめによるものではなく、通っている高校で、同級生などにいじめられていたこよるとのことで、これには少し驚きました。

 

こんな流れで、解散理由について知ることが出来たのですが、番組を録画したように、おニャン子クラブの名前を聞くと、心踊ってしまいます。

 

ただ、あれから30年以上も経ち、平成の前の昭和でしたので、それこそ隔世の感がありますし、今となっては、多くの芸能人の顔と名前が一致しないことを思うと、いかに自分が歳を取ったのかと思わざるを得ません。

 

あぁ~、歳は取りたくないものです。でも、自称“永遠の28歳”ですので、良しとしておきます。

今月2回目のお誕生会

一昨日の25日は、

女将兼愛妻(!?)の真由美さんの誕生日ということもあり、

夕飯を終えた後、

お誕生日会をしました。

 

我が家では、こういう時でも、ホールのケーキではなく、良さげなものを見繕うのが殆どで、この方が、切り分ける手間もなく、皆で色んな味を楽しめるからです。

 

蝋燭の火を消したら、

家族4人めいめいが、好きなものを選ぶと、二人の娘達が、

プレゼントを、

渡していました。

 

ちなみに、この日の夕飯は、

近所の中華料理店で、特別なものではありませんでした。

 

また、次女の誕生日も2月で、ちょうど二週間前の11日で、どちらも定休日の月曜日と重なり、

この日は、娘の希望で、ミニオンのアイスケーキで御祝いをしました。

 

自分以外、皆女性ということもあり、“志村家の女三羽烏”と呼んでいるのですが、三羽烏あっての部分が多分にあり、これからもその協力無しには成り立たないので、先程同様、この場を借りて、改めてお願いを申し上げさせて頂きます。

家庭科の授業で、鰯(いわし)の手開きをする訳とは・・・

明日、次女が通う中学校の家庭科の授業で、

鰯の手開きの試験があるので、今夜は、

その最終チェックをしてあげることにしました。

 

鰯は、『鰯の丸煮』に使うもので、この課題を知った時に、何本か冷凍しておいた真鰯です。

 

頭を取り、

水洗いをしてから、

開くのですが、

今日で3回目ということで、

開き終えた鰯は、このような状態で、何点もらえるのやら・・・。

 

ところで、この課題を知った時、自分が思ったのは、「何故、家庭科の授業で、鰯の手開きをするのか?」ということでした。

 

娘の教科書を開くと、

鰯を使った料理として、

かば焼きと、

つみれ汁が載っており、これらの下に、

手開きの方法が載っていました。

 

実を言うと、自分は、娘に教えるまで、手開きをしたことがありませんし、これまで、その必要性がなかったというのが、正確かもしれません。

 

なぜなら、包丁を使った方が早いし、きれいに仕上がるからです。

 

手開きをしても、腹骨を取るには、包丁でなければ、出来ないことを考えると、手開きは、無意味な仕事でしかありません。

 

さらに言うと、人間の体温で、鰯を持てば、鮮度は否が応でも、落ちるわけで、その点でも、無意味です。

 

また、料理の基本は、包丁を使うことですから、それなくして、手開きをするのも、無意味です。

 

包丁の使い方を覚えるのに、基本が何なのかは言えませんが、キャベツの千切り、葱の小口切りなどが、それにあたり、これらが出来れば、一般の方なら十分と言えます。

 

最近では、スーパーの鮮魚売場では、魚を卸してくれるので、その方が、片付けの点でも、ずっと効率的です。

 

魚を卸すには、出刃包丁が必要ですし、それを使う頻度を考えると、家庭で魚を卸すことほど、非効率であるのは、言うまでもありません。

 

家庭科の担当の先生というより、教科書の著者である方達は、何をもって、鰯の手開きを教科書に載せたのでしょう?

 

これら以外にも、鰯を扱うことへの疑問があります。

 

料理が出来ない中学生に、鰯の手開きをさせ、ボロボロにしてしまうことは、或る意味、食材への冒涜としか思えません。

 

少なくとも、娘が開いたボロボロの身を見て、

料理をする気にはなれません。

 

また、鰯を手に入れるには、漁師の人達が獲ってくれるからで、時化の時などは、命がけで漁をしているのです。

 

彼らが、そんな鰯を見たら、どう思うのか、想像に難くありませんし、自ら魚市場に通い、懇意にしている漁師の方も何人かいて、それを思うと、気の毒でなりません。

 

少なくとも、自分の作った料理が、残されたり、ぞんざいに扱われたら、嘆かわしいのは、言うまでもありません。

 

どんな食材でも、一次産業である水産業、農業、畜産業などの産物である以上、粗末に扱うことだけは、料理人として、許すことが出来ないのです。

 

さらに言えば、一次産業なくして、食というものはあり得ないのです。

 

命ある鰯が、ボロボロにされ、美味しく食べてもらえなければ、鰯も浮かばれません。

 

ご存じのように、人間は、他の命を頂いて、自らの命を成り立たせる罪深い生き物で、そうである以上、食材を粗末にすることは、許されることではないのです。

 

命を頂くからこそ、食事の前に、「いただきます。」と言うのであって、作ってもらった人や、もてなしてくれる人への言葉ではありません。

 

家庭科という授業が、どのような意図があるのかは、全く分かりませんが、少なくとも、実生活に役立てるようなことを取り上げて欲しい限りで、授業のための授業でなくなって欲しい限りです。

22季振り、13度目の優勝

昨日のラグビーの全国大学選手権大会で、

母校である明治大学が、

22季振り、13度目の優勝をしました。

 

そんなこともあり、自分も参加しているFacebookページ『明治大学紫紺NET交流会』では、数えきらないくらいに、優勝に関する投稿が見られ、“超いいね!”をクリックしてしまいました。

 

自分以外にも、多くOBやOGの方々が待ちわびていた優勝で、中には、スポーツ紙を全紙購入した方もいて、その様子を投稿しており、皆が皆、同じ思いだったようです。

 

ここ数年というより、長い間低迷していましたが、昨年久々に準優勝し、

紙面にも、名門復活の見出しがありました。

 

昨年は、絶対王者とも言うべき帝京大学に、決勝戦で1点差で破れ、9連覇を許し、今年こそはの思いというか願いがあり、対抗戦の様子も気にしており、結果的には、4位で終わってしまい、復活はならないかもしれないと危惧していました。

 

今後、どうなるかは分かりませんが、

新時代の幕開けとなり、

近い将来ライバルの早稲田大学の優勝回数を越え、名門同士、大学ラグビー界を牽引して欲しい限りでなりません。

 

学生時代、鮨屋でのアルバイトに明け暮れ、大学には、友達も殆どおらず、学生証というか身分証明証発行機関にしか思っていなかった自分ですが、今となっては、誇れる母校です。

 

昨年の準優勝の時は、大先輩である星野仙一氏の死去もあり、複雑な思いを感じたのですが、縁あって通った明治大学の母校の名を汚すことなく、自ら選んだ道を歩み続け、日々の仕事に努めたい限りでなりません。

東京日帰り旅行(御茶ノ水編)

今回のお話しは、前々回のお話しの続編にして、東京日帰り旅行の最終回です。

 

 

銀座から、地下鉄丸の内線に乗り、

御茶ノ水で、下りました。

 

外に出たら、

母校である明治大学を通ったのですが、

自分の学生時代の校舎の面影は一切なく、

校舎というよりは、高層ビルと化し、

カフェなんぞが、テナントとして入っており、かつてはバンカラのイメージが強かった大学とは思えないくらいでした。

 

また、自分が通っていた頃は、学生運動の名残というか、末裔の学生達が書いた立て看板もあり、現在の学び舎を見ると、タイムスリップした感すらした次第です。

 

そんな母校を尻目に向かったのが、鮪屋の社長と食事をするため、

予約をしておいた『山の上ホテル』で、『山の上ホテル』は、“文化人の定宿”としても知られており、アールデコ様式の建物がレトロな雰囲気の老舗ホテルです。

 

学生時代、『山の上ホテル』のことは知っていましたが、館内に入ったことはなかったものの、所謂シティホテルとは全く違う趣が気になっていました。

 

そんな想いを持ちながら、卒業したのですが、訪れる機会は、卒業してから、間もなくのことで、想いというものは、不思議と通ずるものです。

 

学生時代の鮨屋でのアルバイトをきっかけに、料理の道に進んだ自分は、かねてから、カウンターで天ぷらを食べたいという思いがあり、常連のお客様に、おすすめの店を訊いたところ、『山の上ホテル』の天ぷら屋がおすすめと教えてもらい、その機会が訪れました。

 

それ以来、東京にいた頃だけでなく、東京を離れても、何度か食事をしていることもあり、20年来のファンでもあります。

 

館内は、

外観同様、

レトロな雰囲気は、

明治時代の貴族の邸宅を彷彿させてくれ、久々の訪問を喜んでいました。

 

そうこうしていると、鮪屋の社長もやって来て、

『天ぷらと和食 山の上』の暖簾をくぐりました。

 

先ほどお話ししたように、こちらの看板料理は天ぷらで、都内の個人の天ぷら屋の職人さんの中には、“山の上ホテル卒”の方達が多く、そういう意味では、天ぷら屋さん予備校と言っても過言ではありません。

 

さらに言うと、その美味しさを引き立ててくれるのが、老舗ホテルならではのサービスで、同業者として、見習うべき点も多く、自分にとっては、お客様とお店という両者の立場になれる場所でもあるのです。

 

席に着くと、

先ずは乾杯。

 

とは言え、新橋と銀座で、一次会、二次会と済ませた自分にしてみれば、三次会ですが、今回の日帰り旅行の目的が、この食事というか、会食でした。

 

というのも、開店以来、取引をしているので、鮪屋の社長とは10年の付き合いになるのですが、発注をはじめ、いわゆる業務連絡で終わってしまうのが、普段のことで、踏み込んだ話や雑談をするのは、これまでに一度しかなく、それもかなり前のことで、その時の様子については、こちらをお読みください。

 

ビールで喉を潤した社長は、

焼酎の水割りにシフトし、

自分は熱燗に。

 

そして、熱燗をつけている酒器が、錫(すず)の銚釐(ちろり)こそが、ここのファンになって理由の一つでもあります。

 

錫の銚釐は、熱燗を味わうには、もっとも適している酒器で、日本酒がまろやかになりるだけでなく、このサイズのもので、1個1万円以上するので、陶器のものよりも、価値があるのです。

 

ちなみに、一年365日熱燗派の自分も、

マイ銚釐を持っており、愛用しています。

 

さらに言うと、『佳肴 季凛』で燗酒をお出しする時も、使いたいのですが、数を揃えなくてはならないコスト面をはじめ、諸々の理由で諦めていますが、「いつか・・・」という想いはあります。

 

それでも、これまでに常連さんには、何度かお出ししたことがあり、日本酒好きで、銚釐を知っている方には、喜ばれているので、ご来店の際、機会があれば、お声を掛けていただけると、幸いです。

 

全くの同い年にして、独立したのも、一年違いですので、話題に事欠かず、当然、

この日の史上最高値をつけた“3億円の本鮪”についても、話題になりましたが、それについては、あえてここではお話ししません。

 

ただ、沼津魚市場でセリの様子を見ているだけでなく、天然のとらふぐを、全国の魚市場で仕入れている自分としては、“3億円の本鮪”についての顛末については、納得することが多くありました。

 

料理の写真は、そっちのけですが、

コースの天ぷらとは別に頼んださつま芋の天ぷらは、特筆もので、揚げ上がるまで、50分を要す天ぷらです。

 

ここに来ると、必ず注文し、機会があれば、是非召し上がっていただきたいもので、天ぷらなのに、デザートのような感覚で、しかもブランデーを掛けると、大人の味わいになります。

 

そして、食事の天丼、

デザートで〆となり、食事会というか飲み会が終わりました。

 

そして、『山の上ホテル』と出て、御茶ノ水の駅前で別れ、自分は、東京駅に向かったのですが、

東京駅構内の売店で、四次会用の段取りを整え、

真由美さんと次女に、合流。

 

新幹線が出発すると、

今日の反省会ということで、独り四次会を始めました。

 

当然、隣にいた真由美さん達が、他人の振りをしていたのは言うまでもなく、そんなこと、お構いなしで、四次会を楽しむこと、1時間。

 

新富士駅に着き、

新春の東京日帰り旅行が、無事に終わったのでした。

 

☆★☆ ラジオエフ 『うまいラジオ』に出演中 ★☆★

毎月第一木曜日 昼2時頃から、ローカルFM局ラジオエフの番組『うまいラジオ』で、旬の魚について、店主兼“熱血料理人”の自分が、熱く語ります。

新年は、第二週となりますが、1月10日(木)の予定です。

s-ラジオエフ

s-うまいラジオ

放送エリアは限られますが、お時間のある方は、是非、お聴き下さい。

東京日帰り旅行(新橋&銀座編)

今日のお話しは、昨日のお話しの続きですが、新橋でタクシーを降り、朝食を食べるため、駅周辺を徘徊することにしました。

 

開いている飲食店は、ファストフード店やチェーン店ばかりで、朝食抜きにしようかと諦めていたところ、

居酒屋に辿り着きました。

 

入口には、

24時間営業の貼紙があり、興味津々で、店内へ。

 

正月休みということもあり、店内のお客さんはまばらでしたが、席に着き、聖なる休日には、昼酒が欠かせないので、

ビールをオーダー。

 

しばらくすると、

蛸(たこ)の唐揚げが運ばれ、食べ始め、店内を見渡すと、

3軒が一緒になっているとのことで、

出前可能という貼紙があり、興味があったので、

お品書きを見せてもらうことにしました。

 

お腹も空いており、出前をしてもらうことも考えたのですが、今日のお昼は、豊洲の鮪屋の社長と食事をすることになっていたので、長居をするわけにはいかないのいで、ビールと蛸の唐揚げだけで、こちらのお店から出ることにしました。

 

約束の時間には、かなり時間があったので、

銀座まで、

歩くことにしました。

 

そして、

銀座コアというビルに着き、看板を見ると、自分がかつて勤めていた日本料理店の系列店の名前があり、ビルの中に入ってみることにしました。

 

自分が勤めていた日本料理店は、しゃぶしゃぶが看板料理の『ざくろ』という日本料理店で、勤めていたのは、20年くらい前のことで、新宿の鮨屋から移って、2軒目の店でした。

 

地下と2階に、その系列店のしゃぶしゃぶ専門店の『しゃぶせん』があり、

厨房の入口に立っていると、偶然にも、中からかつての同僚が出て来たのです。

 

同僚とは言っても、自分よりも、ずっと年上で、声を掛けると、驚きながら、「よく分かったねぇ~。何年振りだろう?今、どこにいるの?中には、〇〇さんもいるよ。」と、応えてくれ、現在の自分のことを伝えました。

 

そして、もうひとりのかつての同僚というより、先輩の〇〇さんに声を掛け、同じようなやり取りをし、先程の蛸の唐揚げとビールだけでは、お腹が空いたままでしたし、懐かしさもあり、店内へ。

 

偶然は重なるもので、店内には、声を掛けることが出来なかったものの、かつてのホールスタッフもいました。

 

ところで、系列店とあるようように、グループ内での異動もよくあり、異動はなくても、新規開店などがあったりすると、別の店舗の助っ人に行くこともあり、自分は、新規開店の手伝いだけでなく、系列の『Tops(トップス)』に、手伝いに行ったことがあり、その時の仕事は、クリスマス用のケーキに使う胡桃の皮剥きで、それこそ内職のような仕事でした。

 

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、『Tops』は、チョコレートケーキが有名で、全国の百貨店でも販売されています。

 

先ずは、勿の論で、

ビール。

 

ビールは瓶派の自分ですが、生ビールしかないとのことで、グラスビールの小にし、ビールの隣にあるのは、アスパラ豆腐という料理で、自分が勤めていた頃というよりも、その前からある料理です。

 

アスパラ豆腐は、缶詰のアスパラ、グリンピース、ずわい蟹を敷き、その上に、玉子豆腐の出汁を貼ってから、蒸し上げてあります。

 

包丁したら、胡瓜、マヨネーズ、パプリカをあしらって、お出ししているものです。

 

程なくすると、野菜と肉が運ばれてきたのですが、注文したのは、黒毛和牛のしゃぶしゃぶで、

和牛は、鹿児島産とのことで、それと共に、

アスパラ豆腐同様、定番のトマトサラダで、賽の目に包丁したトマトに、醤油ベースのドレッシングが掛かっており、その上に、玉葱、パセリがあしらっています。

 

また、ドレッシングには、セロリの種が入っており、これが何とも言えないアクセントで、食欲がそそられます。

 

そして、しゃぶしゃぶの美味しさを引き立ててくれるのが、

胡麻だれです。

 

10種類以上の香辛料をベースにした少々辛めの味なのですが、一度クセになると、やみつきになる味で、この味を知ってから、しゃぶしゃぶの美味しさを、自分は知りました。

 

また、この胡麻だれのレシピは、各店の料理長をはじめ、『ざくろ』グループの一部しか知らないもので、いわゆる門外不出のものです。

 

当然のことながら、自分は知りませんし、全ての料理長が知っているとは限らないとも、当時言われたような気がします。

 

その後、しゃぶしゃぶを食べ終えたのですが、会計をしてくれた店員の方も、別の同僚で、声を掛けると、その元同僚も、覚えてくれていたようでした。

 

新橋と銀座で、遅(おそ)朝食というか、早(はや)昼食を食べ終え、

懐かしさとほろ酔い気分で、地下鉄で向かったのが、東京日帰り旅行の最終目的地の御茶ノ水でした。

 

そして、御茶ノ水で、鮪屋の社長と食事をしたのですが、その様子は、次回以降、お話しさせて頂きます。

居酒屋『きえい』さんへ

昨日は、

沼津市大岡にある居酒屋『きえい』さんに、

家族で、行って来ました。

 

こちらのご主人のことを、普段きえいさんと呼んでいるので、以降きえいさんと記させて頂きますが、沼津魚市場で知り合い、かれこれ5年くらい親しくさせて頂いており、自分よりも年上でありながらも、以前水槽の修繕をしてくれるほど、非常に親切な方です。

 

また、定休日も同じ月曜日ということもあり、なかなか行くことが出来なかったのですが、ようやく初めて訪れることが出来ました。

 

玄関前には、

沼津産の高足蟹(たかあしがに)、

鑑賞用の鯉や、

金魚が入った水槽が、水族館の如く、置かれていました。

 

店内の水槽には、

高足蟹同様、沼津魚市場で仕入れた石垣鯛(いしがきだい)、目仁奈(めじな)、猫鮫(ねこざめ)、たかのは鯛など10種類くらいの魚が、水族館さながらに、泳いでいました。

 

さらに、長く飼っていることもあり、

餌付けをすると、

魚が寄ってくるので、これまた水族館さながらで、

娘達も、興味深そうに写真を撮っていました。

 

また、店内の壁には、

きえいさんが作った魚の剥製も飾られており、この中には、自分が差し上げたくまさかふぐで作ったものもありました。

 

席に着くと、

先ずは、ビールでをグビグビ・・・♬

 

正月ということもあり、料理はきえいさんにお任せし、

色々と運ばれて来ました。

 

それと共に、

ビールから、

米焼酎のお湯割りにシフトし、もちろんボトルで・・・♬

 

その後、

茄子田楽、

鰤(ぶり)の照焼、

焼牡蠣と、焼物が三連荘。

 

個人的には、魚介類は生よりも、加熱したものの方が、旨味が凝縮され、より美味しさを感じることが出来るので、こういうコースは有難いものです。

 

バイトの方達も出勤前ということもあり、

お手伝いをしながら、

飲んだりと、まさに勝手知ったる他人の家とは、このことで、

ほど良く酔いも周り、

大満足の夕食となり、家路に着いたのでした。

22年振りの優勝に、王手

長女が、“駅女”ということもあり、

今日は、コンビニに行き、スポーツ新聞を買い占めてきました。

 

静岡県富士市という地方都市ということもあり、『デイリースポーツ』や、トウチュウこと『東京中日スポーツ』はありませんが、それでも、呆れるというか・・・。

 

そんな中で、

サンスポこと『サンケイスポーツ』の一面は、母校である明治大学のラグビー部が、大学選手権の準決勝で、ライバルである早稲田大学を破り、2年連続で、決勝進出を果たした記事でした。

 

各紙を見てみると、

明治大学のことだけでなく、

大学選手権で9連覇中で、

10連覇を目指していた絶対王者とも言うべき帝京大学が破れた記事もありました。

 

昨年、帝京大学に大工学選手権の決勝で敗れていながらも、今シーズンの対抗戦で、その雪辱を果たし、22年振りの優勝も近づきつつあると期待していたこともあり、昨日の結果には、ひと安心した次第です。

 

ただ、今でこそ、母校愛なんぞを語っていますが、在校当時は、サークルはおろか、ゼミに入らず、大学は単なる学生証という身分証明証発行機関でしかありませんでした。

 

しかしながら、今となっては、やはり嬉しいものですし、それも、OBの方達と知り合うことによって、母校愛が芽ばえた次第で、それについては、こちらをお読み下さい。

 

12日(土曜日)の決勝で、去年の雪辱を果たし、22年振りの優勝を祈るばかりでなりません。

 

★☆★ 新年の営業 ☆★☆

新年の営業は、

8日(火曜日)からです。

 

本年も、多くの方の御来店、心よりお待ちしております。

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