熱血料理人の先輩は・・・。
昨日に引き続いて、築地でのお話しです。
”熱血料理人”と呼ばれる自分ですが、主に東京で修業をしていました。そのため、東京には料理人の先輩、知人が沢山います。その中の一人が、こちらの木場(こば)さんです。
木場さんは、鮨職人で、新宿で”鮨どころ 木場”というお店をやっています。自分の先輩です。自分が一番最初に修業した鮨屋で、色々と仕事を教えてもらいました。かれこれ、17,8年前のことです。
途中で自分は日本料理の道に入りましたが、木場さんは、鮨一筋です。昨日も築地で会ったのですが、”熱血料理人”の先輩だけあって、”熱血鮨職人”と言うべき人です。
築地のとあるお店の店先です。
イカやアワビが並んでいます。こういうお店のことを、”小物屋”と言います。木場さんは、お店の奥に行き、氷が入ったスチロールに手を入れ始めました。
似たような光景は、読者の皆さんは記憶にあるかもしれません。もっと言うと、この写真の木場さんを、自分だと思って下さい。
自分でもこうやって見ると、魚市場での自分を見ているような錯覚に陥ります。
”熱血鮨職人”だけあって、寒いだとか、冷たいなんてヤワなことは言っていません。「河岸に来てんのは、いい魚を選びに来てんだ。自分で選ばねぇで、どうすんだよ!」
どっかで聞いたようなセリフです。
「変な魚で、鮨なんか握れっかよ!」とさらにまくし立てます。
誰かの口癖そのものです。子分を見れば、その親分が分かるとは、まさにこのことです。
木場さんとは、たまに電話でいろいろとやり取りすることがあるのですが、決まって魚の話になります。
「この間の平目は、淡路島産で、身がもう最高でよ~。たまらなかったぜ。あと、今日入れなかったけど、あのまぐろ最高だね。立ち止まって見ちまったよ。」といった類の話は、ごく当たり前です。
ちなみに、”佳肴 季凛”で使っているまぐろと、部分は違いますが、同じものを使っています。もっとも、木場さんのほうは、トロが多く取れる部分を使ってはいますが・・・。
ですから、「お前が今日仕入れたまぐろ、昨日の俺のより良かったぜ。ちぇ、口惜しいな。一日待てば、よかった。」なんてことも、しばしばです。
自分が料理に対して、熱くなるのは、元々の性分でもありますが、先輩が”熱血鮨職人”である以上、”熱血料理人”になってしまったのも、実はごく当然のことだったのです。
志村
新たな喜び
今日から、3月です。段々と暖かくなってきましたが、”熱血料理人”こと不肖・志村は、暖かいというより、あいも変わらず、常夏のように燃えています。
燃えているのは、料理”だけ”なのは、今更お話しするまでもありませんが・・・。
料理人の仕事は、料理を作ることではありません。美味しい料理を作るのが、その仕事だと思っています。そして、作った料理を、お客さんに食べてもらって、お金を頂くという何事にも変え難い崇高な仕事だとも、思っています。
お客さんに、「美味しい。」と言われることは、何よりも嬉しいことです。しかしながら、最近違った形で、新しい喜びを感じることが出来ました。
先日”レモンのシャーベット”のお話しをしましたが、このレモンを作った方が、このシャーベットを食べてくれて、「自分のレモンがこんな風に姿を変え、食べることが出来て、嬉しい。」と言ってくれました。
また、自分が提携している農家の芦沢さんが、”佳肴 季凛”でランチを食べに来てくれました。そのお話しは、こちらを。
この二つのお話しから、自分が言いたいことは、”料理人というのは、生産者の代弁者である”ということです。
農業や水産業に携わる方たちがいて、素材が生まれ、その素材を使って、料理がはじめてできるのです。素材あっての料理なのです。
素材を活かすも殺すも、料理人次第です。今回のように、食べ手(=お客さん)である素材の作り手に喜んでもらえたということは、全て良しの点数がつけられるとも言えます。
”食”という字は、”人を良くする”と書きます。それに携わるのが料理人です。それを生業としていることに、日々感謝しながら、料理を作っていきたいと思います。
ところで、明日は”佳肴 季凛”の定休日です。お約束の”休日出勤”ではなく、恋焦がれてやまない東京へ行ってきます。
しかもその中でも大好きな築地へ、行ってきます。”秘密兵器”というか”ピンチ・ヒッター”を探しに行ってきます。それだけでなく、他の食材を仕入れてくる予定です。
来週の”もっと美味しいお話し”は、築地での様子が続く予定ですので、あいも変わらずおつき合いしてください。
今夜は嬉しさのあまり、寝れるかどうか、心配です。
志村
先生デビュー
以前から、お話ししていたように、昨日は東京電力の富士支社で、先生デビューを果たしました。
緊張のあまり、前の夜は寝れないなんてことはなく、しっかりと4時起きして、沼津魚市場に仕入れにも行ってきました。料理講習会そっちのけではありません。というのも、明日は市場が休みだからです。
昨日に限って、セリの終わる時間が遅れ、富士市までの道中、気が気でありませんでしたが、”佳肴 季凛”に着いて、講習会の準備をし、遅れることもなく、会場入りし、準備も無事済ませることが出来ました。
準備が終えた頃、開始時間前にも関わらず、参加者の方が見え始めました。
IHクッキングヒーターを使うこともあり、参加者の方の中には、マクスの社長に、IHに関する質問をしている方もいました。
そんなことを尻目に、自分は”デビュー”を待つばかりです。参加者の殆どの方が座り始めました。
そうこうしているうちに、講習会は始まりました。最初は緊張していたのですが、教壇ならぬ調理台の前に立てば、”水を得た魚”とまではいかなくても、緊張もほぐれました。
ここからの様子は、マクスの社長のブログとの二元中継で、お楽しみ下さい。
講習会の途中で感じたことは、参加者の皆さんの食への関心が予想以上に高いことでした。
これを機会に食への関心、さらにはマクロビオティックにも関心を持っていただけそうなことも、嬉しい限りでした。そして、”人は教えることによって、もっともよく学ぶ”ということを、改めて感じることが出来た一日でした。
参加者の皆さん、マクスの方々のご協力あってこその講習会でした。どうも有難うございました。また次回も開催できるように、料理の道に精進します。
志村
割帳
昨日お話ししましたが、我々料理人は、レシピを多用しません。レシピと記しましたが、日本料理では、”割”と言います。とは言っても、その店ごとの味があり、”割”どおりに作るものも、あります。
当然、分量は決まっています。もちろん、”佳肴 季凛”にもあります。全て、自分オリジナルです。
頻繁に作るものでしたら、覚えているのですが、中にはそうでないのも沢山あります。ですから、忘れないために、なんらかの形で書き留めなくてはなりません。自分はノートに記しています。このノートのことを、”割帳”と日本料理の世界では、呼んでいます。
このノートが、”佳肴 季凛”の味付けのエッセンスです。
この”割帳”だけでなく、自分は今でも修業時代の”割帳”を持っていて、時々開いて、使うこともあります。
こういう積み重ねがあってこそ、今の自分、そしてこれからの時分です。
中はこんな感じです。
と記すと、「秘密じゃなの?」と、思われるかもしれませんが、自分は全く気にしません。
というのも、仮に真似されても、未来永劫それは、”佳肴 季凛”の味であって、他所の味ではないからです。
ですから、自分は店でも、お客さんに作り方を聞かれれば、どんな材料を使っているのか、躊躇うことなく、答えます。
また、”佳肴 季凛”の割帳だけでなく、修業時代の”割帳”も今でも、大切に持っていて、時々開くこともあります。
かれこれ、10年以上も前の”割帳”です。
”割”通りに、料理が作れるのなら、料理人の存在意義はありませんし、それぞれの店のオリジナルも必要ありません。
そして、その場その場の状況に応じて、料理を作ってこそ、料理人の真価が問われるのだと思います。
そのためにこそ、自分は進むだけです。
志村
新年会
昨日は、お話したように東京へ行ってきました。日本料理研究会の新年役員賀詞交歓会に出席するためです。長い呼び名ですが、新年会のことです。
会場は高級ホテルとして有名なホテルニューオータニです。
以前東京に住んでいたとはいえ、今はれっきとした富士市民ですから、こんな位置から写真を撮っている姿は、お上りさんそのものです。
受付を済ませ、会場へ入りました。
開会したのですが、大体にしてこういう会の殆どは、挨拶や祝辞がつきものです。飽きっぽい性格の自分は、苦手なことこの上ありません。当然おとなしくしていなくてはなりません。
時間にして約1時間。待ちに待った”乾杯”です。
はっきり言って、このため”だけ”に来たようなものです。今回の食事は中華料理でした。
また、テーブルは自分が所属する調理師会の人たちの7人でした。ちなみに正友六進会(せいゆうろくしんかい)という名前の会です。
写真の右側が、自分が師事した親方(岸外志氏)で舘山寺レイクホテル花乃井の料理長をしていて、当会の代表です。
また、写真の左側が会長の齋藤章雄氏で、コンラッド東京の和食料理長をしていて、マクロビオティックに造詣が深く、講習会などで、マクロの料理を作ったりもしています。もちろんホテルでもです。
お二人とも、日本料理研究会の師範で、和食の業界では、一角の人物です。
こういう集まりに出席するぐらいしか、顔を合わせる機会がないのですが、こういう時は自分は料理のことをいろいろ尋ねます。せっかく、富士市から出かけていくのですから、”ただ酒を飲んでオシマイ”では、意味がありません。
昨日もいろいろと、教わることができました。もちろん、しっかり飲んできましたけど・・・。
志村
一張羅
佳肴 季凛”は本日定休日なのですが・・・。
という書き出しですと、あいも変わらず、休み返上で、仕込みと思われるかもしれませんが、今日は完全オフです。
とは言っても、自分は今日、料理と同じ位大好きでたまらない、そして恋焦がれてやまない(なんだか、やたら枕詞が多いような)東京へ行ってきます。
今日は、自分が所属する日本料理研究会の新年役員賀詞交歓会
(=新年会)に出席してきます。
自分では、未だ”ぺーぺー”や”若い衆”のつもりでいるのですが、一応”技術理事”を拝命しているので、このような集まりに参加できるのです。
普段着というわけではいかないので、スーツを着て行くのですが、今回は新しく買ったスーツを着て行きます。というより、皆さんに見て欲しいのが本音かも。
これが今回買ったスーツです。自分はシングルよりも、ダブルのスーツが好きで、というよりも、ダブルしか着ません。
しかしながら、先日買いに行った時も、ダブルのスーツは殆どありませんでした、店員さんによれば、「最近はシングル、ダブルというよりも、いろんなタイプのスーツが増えてきているので、ダブルは少ない。」とのことでした。
ただ主流は、シングルです。
そんな中、数少ないダブルを選んできました。スーだけというわけにもいかないので、当然ワイシャツとネクタイも新調しました。
個人的には、ワイシャツは白よりも、色付きが好きなので、こんな感じのものを選んできました。
これらを着て、そろそろ出かけます。ただ、夕食もどこかで、食べてくることになるので、飲みすぎには、注意しないと・・・。
東京へ行くと、飲食店に限らず、デパートの食品売り場などいろいろなお店を見れるのも、楽しみです。今回のスーツのお話しではありませんが、日本料理の枠に捉われることなく、常に時代の流れにアンテナを張っておかねばならないと思っています。
志村
始動
平成21年の”佳肴 季凛”の営業は、1月6日(火)からですが、今日から、始動します。
とりあえず、買出しに出掛け、明日は出汁を引き、煮物には味を含めなければならないので、その準備です。
市場(野菜、魚共)は、明日から開きます。ただ沼津の魚市場は例外で、6日(火)からです。
まだ、冬真っ只中ですが、春の食材、特に野菜類は、出始めているので、献立の中身も、思案中です。
ただ、あまりに”旬”を先取りするのは、最近では、自分自身、?をつけています。というのも、そういう食材は、美味しさに欠けることは、どうしても否定できません。
ただ、日本料理店である以上、家庭では食べられない”はしり”の食材を、お出しするのも一つの役目ですから、その辺のバランスも、自分自身の課題でもあります。
ということで、料理人は、パソコンとにらめっこより、食材とにらめっこすべく生き物。いざ厨房へ向かいます。
と、その前に買出しに行ってきます。どんな凄腕の料理人も食材なしでは料理は作れませんから・・・。
志村
箱入り
以前、新年最初の”もっと美味しいお話し”の予告をしました。覚えていますか?
蒲鉾のお話しです。
暮れの29日に届いたのですが、この商品の詳しい説明はこちらをお読み下さい。
写真のように、風呂敷に包まれていました。そうは言っても、たかが蒲鉾ですよ。
その風呂敷を開けると、こんな感じの箱に入っています。しつこいようですが、たかが蒲鉾です。
さらにそれを開けます。
こんな風に、”能書き”付きです。
その”能書き”には、原料に関するこだわりが書かれています。
一通り読んだのですが、「ふ~ん。」といった感じです。
さて、肝心のその味です。一番違うのが、味よりも、食感というか、歯ごたえです。
その歯ごたえは、普通に売られている蒲鉾に比べ、固いというか、”プリ”っとした食感です。
美味しいと言えば、美味しいのですが、こんなもんと思えば、こんなもんです。
また、箱入りだけあって、値段も聞けば、耳を疑います。何と2本セットで、壱万円也。
!?!?!?!?!?
しかも、300セット限定です。
何度もお話ししていますが、どんなものであれ、一度は買って、食べないと気が済まない性分。とりあえず、納得しました。
今年の暮れですか?
買うつもりはありません。ただ、今度はこのメーカーで出している300本限定の伊達巻にしようと思っています。
ちなみに、一本5、000円です。
個人的には、伊達巻は、あまり好きではないのですが、そういう性分ですから、致し方ありません。
志村
誕生日
今日、12月27日をもって、不肖・志村は38歳になりました。
自分としては、まだ20代のつもりですが、やはり不惑を手前にすると、体力の衰えを感じます。
一番感じるのが、”飲み過ぎ”た時です。若い頃(20代の頃)は、二日酔いになっても、復活するのに、時間はかからなかったのですが、今では、復活どころか、そのままのことが多いので、お酒の量も自然と少なくなってきました。
これからは、お酒を飲むというよりは、たしなむことが出来るように、なりたいものです。
ところで、自分は38歳になりましたが、我が身の分身である”佳肴 季凛”は、生後3ヶ月です。
それゆえ、自分以上に、”佳肴 季凛”の成長が楽しみです。
”佳肴 季凛”の成長には、何よりも、お客様の存在が不可欠です。これからも、志村同様、目をかけて頂ければ、幸いです。
今年もあとわずかです。どうぞ、ご自愛下さい。
志村