秋刀魚(さんま)の丸干し
普段通っている沼津魚市場には、
練物、干物、塩蔵品などを扱っている問屋があります。
先日、この問屋を覗くと、
千葉県銚子産の秋刀魚の丸干しが、
並んでいました。
秋刀魚というと、夏の終わりから秋にかけて入荷し、脂が乗ったものを塩焼にするのが定番ですが、秋刀魚の丸干しは、11月の終わり頃から水揚げされる脂の抜けた“枯れ秋刀魚”で作るものです。
自分が、秋刀魚の丸干しを初めて食べたのは、4、5年前のことで、天然のとらふぐの仕入れ先の一つでもある三重県熊野の魚屋さんからの頂き物でした。
それ以来、秋刀魚の丸干しの美味しさを知ったのですが、ご存じのように、この2,3年は、秋刀魚の不漁が続いていたこともあり、なかなかその美味しさに与(あずか)る機会がなかったのですが、久々に目にしたこともあり、賄い用に買った次第です。
丸干しですので、
串を打ち、
焼くだけです。
そして、今日のお昼に、
賄いで食べたのですが、マクロビオティック(玄米菜食)を自らの料理の基本に据えていることもあり、雑穀御飯が主食で、玄米、押麦、黒米、小豆、粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)が入っています。
また、酒の肴にしたこともあり、
否が応でも、熱燗が進んでしまいました。
昨今、脂のあるものが好まれがちですが、脂の無い秋刀魚だからこそ、丸干しの美味しさがあり、丸干しの秋刀魚には、秋ではなく冬という字をあてたいくらいだけでなく、秋刀魚の別の美味しさを、多くの方に知って欲しいこと、この上ありません。
☆★☆ ラジオエフ 『うまいラジオ』に出演中 ★☆★
毎月第一木曜日 昼2時頃から、ローカルFM局ラジオエフの番組『うまいラジオ』で、旬の魚について、店主兼“熱血料理人”の自分が、熱く語ります。
次回は、2月7日(木)の予定です。
放送エリアは限られますが、お時間のある方は、是非、お聴き下さい。
薪ストーブの煙突の修繕
昨年の暮れ、薪ストーブの煙突の継ぎ目が開いていることに気が付き、
すぐに工務店に連絡を取ったところ、普段使っている程度では問題ないものの、修繕が必要ということになったのですが、暮れも押し迫っていたこともあり、しばらくは、このまま使うことにしていました。
年が明けて、今月の半ばになり、工務店から依頼された薪ストーブ屋さんが来てくれ、修繕してくれることになりました。
継ぎ目が開いている煙突を外すため、
煙突をねじ曲げたら、
手際よく、
作業を進め、
1時間もかからぬうちに、
作業が、
終わりました。
新しい煙突は、
着脱が可能で、
その説明もしてもらい、
無事に修繕が終わり、
ガンガン薪を燃やし、安心して暖を取れそうです。
★☆★ 日本料理の匠 ★☆★
【佳肴 季凛】店主兼熱血料理人の自分が、
このように紹介されております。ご興味、ご関心のある方は、上の写真をクリックして、ご覧下さい。
バスde”昼ふぐ”
今日は、バスde“昼ふぐ”の御予約があり、朝から、その準備に追われていました。
御座敷、テーブル席の併用にして、満席いうこともあり、ルーチンの段取りはせず、
ふぐちり用の出汁を用意しておき、ふぐちり用の出汁は、昆布と干し椎茸の足で取ったものです。
その後、
デザートのココナッツミルクのムース、
お新香と、盛り付けをし、最後にお出しするものから盛り付けるのは、冷蔵庫にしまう都合によるものです。
お新香は、キャベツの浅漬、糠漬(胡瓜、大根、人参)、キムチですが、キムチを添えてあるのは、ふぐ雑炊に入れると、味に変化があるからで、ふぐ雑炊に限らず、雑炊に向いている漬物のひとつかもしれません。
そして、
ふぐ刺やふぐちり用の薬味、
二品ある先付の一品の温牛(おんぎゅう)、
もう一品の南京豆腐(南瓜で作った豆腐)を盛り付けました。
温牛は、真空調理を用い、低温で仕込んだローストビーフのような料理で、柔らかく仕上がり、自分が師事した親方が名付けた料理で、静岡県産の交雑牛のももを仕込んだものです。
ここからは、メインたるふぐ料理の準備で、
ふぐちりを盛り付け、御席のガス台に、
セットしておきました。
普段なら、厨房で仕立ててから、お出しするのですが、一度に御来店されるバスのお客様には、不向きだからです。
ふぐちりの後に、
ふぐ刺を引き、乾かぬよう、一つずつラップをして、冷蔵庫にしまいましたが、今日のふぐは、静岡県舞阪産つまり、遠州灘産のものでした。
また、今日のコースは、ハーフコースでしたので、唐揚の御用意はなく、大方の準備は終わったようなものですが、約30名の御席ですので、抜かりない準備が必要なのは言うまでもありません。
ですので、普段使っている厨房のガス台に、
雑炊に仕立てるため、水洗いした白御飯入れた4つの土鍋を準備し、
離れた厨房にあるガス台に、残りの2つの土鍋を用意しておき、ふぐちりの出汁が無くなった時に備えて、
天然のとらふぐや野菜などで、雑炊用に仕込んでおいた出汁も用意しておきました。
あとは、御来店を待つばかりとなり、さらなる抜かり無い段取りが必要なので、バスガイドさんに、最終見学地である富士宮市の浅間大社を出発する時と、出発してから15分程度経った時に、電話をしてもらい、バスの現在地を確認した時点で、
ふぐちりの土鍋を置いたコンロに、火を点けました。
そして、程なくすると、
バスが到着し、気になるのは、ふぐちりの煮え具合でしたが、作戦が功を奏し、バタバタしながらも、デザートに到るまで問題なく、全ての料理をお出しすることが出来、
無事に、皆でお見送り・・・。
お帰りになった後は、
お片付け~、
お片付け~、さぁさ皆で、
お片付け・・・♬
ただ、雑炊用の土鍋だけは、
シンクにつけておきました。
以前にも、バスde“昼ふぐ”の経験がありますが、今日のように、約30名様の御席は初めてのことで、料理を作るというよりも、召し上がって頂くことの方が難しく、料理たるもの、永遠なる勉強にして、生涯修行を感じた次第です。
明日のバスde”昼ふぐ”の仕込みと準備
今日は定休日でしたが、明日は、“昼ふぐ”を召し上がるバスの団体のお客様が御来店されるので、その準備と仕込みをしました。
バスの団体のお客様が、ふぐ料理を召し上がるのは、3年半振りくらいのことで、その時の様子は、こちらをお読みください。
営業日とは異なり、ルーチンの仕込みや段取りはなく、女将兼愛妻(!?)の真由美さんは、
ふぐちりと雑炊に使う土鍋を洗ってくれ、
自分は、
夕飯用のおでんを仕込み始めました。
土鍋を洗い終えた真由美さんは、
刺身用に柵取りした天然のとらふぐ(遠州灘産)の身を晒に巻いてくれたのですが、このようにするのは、余分な水分を取り除くためです。
天然のとらふぐの身は、白身とは言え、平目や鯛(たい)などと違い、水分が多いので、晒を取り替えて、水分を取り除いてから、刺身に仕立てるだけでなく、最低でも、卸してから3日経たないと、その美味しさを味わうことが出来ません。
その後、真由美さんは、
テーブル席と、
御座敷のセットをしてくれましたが、人数が多いので、御座敷とテーブル席に分けて、御用意させて頂きました。
バスの団体のお客様は、一度に大勢のお客様が御来店されるだけでなく、次の予定もあるので、スピードが必要ということもあり、
雑炊用の器も、
すぐに配膳出来るように、そばに置いておきました。
一方の自分は、
デザートのココナッツミルクのムースをはじめ、
ふぐ料理の薬味の葱、
ふぐ刺の前盛用の葱、
先付に使う蛇腹胡瓜、
ふぐちり用の野菜なども、
仕込みました。
また、ひれ酒だけでなく、ぽん酢に使う天然のとらふぐのひれも炙っておき、
そのまま、
ぽん酢を仕込むため、
使いました。
また、雑炊と共にお出しする糠漬は、昨日から糠床に漬けておいたのですが、冬ということもあり、まだ漬かりが浅かったので、
再び漬けておき、
包丁を砥ぎ、
器出し、
休日出勤にして、バスde“昼ふぐ”の仕込みと準備が終わったのでした。
そして、夜は、予定通りおでんだったのですが、常連さんにも差し上げた後、鍋を移し、
志村家の女三羽烏のお気に入りの白はんぺんをてんこ盛りにしたのですが、自分は、この白はんぺんが苦手で、その訳は、柔らかい食感が駄目なのと、やたらに場所を取るのが許しがたいことです。
そんな自分が好きなのは、
厚揚げとがんもどきです。
また、玉子料理を好まないながらも、唯一食指が動くのが、おでんに入れる出汁巻玉子で、口に入れると、ジュワッと出汁が出て、何とも言えない美味しさがあります。
そして、傍らには、
熱燗・・・♬
ついつい飲んでしまいそうでしたが、控えめにしておき、明日に備えることにしました。
特大サイズの天然とらふぐのふぐ刺の色
先日、天然のとらふぐの皮目の色についてお話ししましたが、BIGちゃんとか、ジャンボちゃんと呼んでいる特大サイズのものになると、皮目の模様がはっきりし、
ただ白いだけでなく、
うっすらと赤みがかっており、
一見すると、ふぐ刺らしからぬ感じすらします。
大きいので、大味と思われがちですが、そのようなことは一切なく、むしろ繊細な天然のとらふぐの味を束ねたような味わいすら感じられ、天然のとらふぐの真の美味しさと言っても、過言ではありません。
仕入れ値や、入荷する量などの関係で、常に御用意出来るとは限りませんが、機会があれば、この美味しさを知って頂きたいものです。
お手製『ぽん酢』のラベルのシール
先日、
静岡市清水区にある印刷会社『エスクリエイト』から、
お手製『ぽん酢』のラベルのシールが届きました。
これまでは、
シールではないラベルを使っていましたが、書かれている内容は、全く同じものです。
ボトルに貼る時、
表になる部分には、“ふぐに魅せられし料理人”の自分が、ジャンボちゃんと呼んでいる4キロオーバーの超特大の天然とらふぐを見つめる写真と共に、ぽん酢と書かれており、ぽん酢は、自分自ら認めたものです。
他の面には、
ぽん酢の説明と、
原材料名などのいわゆる表示項目が書かれており、原材料にもあるように、天然とらふぐのひれを使っており、ふぐ料理の味を引き立たせることを第一義にした『ぽん酢』です。
もちろん、他の料理に使えますし、生搾り果汁を使っていることもあり、風味は格別で、中でも、魚介類を引き立ててくれること、この上ありません。
お値段は、1本(280ml入)で、950円(税別)となっておりますが、生搾り果汁を使っていることもあり、ご注文を頂いてから、ボトル詰めをするので、御入用の際には、予めご注文を頂けると、幸いです。
定置網のBIGちゃんこと、特大の天然とらふぐ
今朝は、
沼津魚市場に仕入れに行って来たのですが、魚市場に着くのは、
5時前後で、今日は、いくらか早めでした。
この売場に向かうと、
自分宛の天然とらふぐが入っていると思しき発泡スチロールがあり、
案の定にして、無事の到着にひと安心しました。
活きたまま送られてくるので、中を開けるまでは、気が気でならず、中を確認すると、
無事となれば、萌え燃え・・・❤
その他の魚を仕入れるため、構内を歩いていると、
地物の鯖を、
水揚げし、
セリの準備をしているところでした。
仕入れを終え、『佳肴 季凛』に戻り、
中を確認すると、お腹の膨らみ具合が良さげだったので、期待しながら、普段の段取りをすることにしたのですが、今日のとらふぐは、定置網で水揚げされたものなので、
顔の部分に傷が少しありましたが、定置網で水揚げされる魚は、どうしても、傷がついたりしてしまうものです。
その後、
締めたら、
血抜きのため、海水を注いでおきました。
また、今日のとらふぐは、“ふぐに魅せられし料理人”の自分が、その想いを込めて、BIGちゃんと呼んでいる特大サイズにして、目方は3,2キロで、
ついついツーショットを決めたくなります。
ちなみに、BIGちゃんのサイズの規定は、2,5キロ以上4キロ未満で、4キロ以上のものをジャンボちゃん、0,5キロ以上2,5キロ未満のものを並とら、0,5キロ未満のものをチビとらと、自分は呼んでいますが、これはあくまでも、独断と偏見、そして天然のとらふぐへの想いを込めて、自分が呼んでいるものです。
というのも、とらふぐに限らず、大きな魚は、ワイルド感が何とも言えず、それが、とらふぐとなると、殊更であるのは、言うまでもありません。
ところで、これぐらいのサイズとなると、SNSの顔認証機能が働き、「一緒に写っている人をタグ付しますか?」とか、逆に、自分の名前が出て来て、タグ付が出来るようにもなるのです。
お腹の膨らみに期待しながら、
卸したのですが、残念ながら、お腹からは、猛毒ゆえ食べられない真子(卵巣)が出て来て、期待は外れてしまいました。
その頃、女将兼愛妻(!?)の真由美さんは、
晒で巻き直してくれていたのですが、天然のとらふぐを刺身に仕立てる場合、最低でも、3日経たないと、水分が抜けないだけでなく、身の弾力が強過ぎて、その美味しさを引き出すことが出来ません。
卸し終えたら、
女将兼愛妻(!?)の真由美さんが水洗いしてくれ、
自分が手直しをし、
拭き上げ、
とらふぐの仕みが終わりました。
そんな今日は、
ふぐ料理の御予約があり、
特に、刺身は、卸してから4日経ったこともあり、歯応えと旨味のバランスが黄金比率になったものをお出しすることが出来ました。
今朝のBIGちゃんは、特大ゆえ、来週の火曜日か水曜日辺りに、黄金比率のピークが来そうです。
富士市立神戸小での職業講話の依頼
年が明け、数日経った時のことです。富士市立神戸小学校で、職業講話の依頼を受けました。
そんな昨日、担当の先生と、
『佳肴 季凛』で、その打ち合わせをしました。
これまでに、職業講話は何度か経験させて頂いており、今年度は、昨年の10月に、富士市立広見小学校で、《食の都の授業(味覚の授業)》の講師も務めさせて頂いたので、今年度二度目の“先生”ということになります。
実施されるのは、
2月4日(月)の5時限目と6時限目で、
対象は、
6年生の27人のうち、自分の講話を希望してくれた生徒です。
今お話ししたように、一学年が27人ですので、一時限の受講生は、5、6人の予定で、講話というよりも、雑談のような雰囲気になることを、先生から伝えられました。
ただ、6年生を対象にした職業講話ですので、一昨年の11月に務めさせて頂いた富士市立第一小学校での経験をもとにする予定ですが、その日は、自らのチョンボで、授業の一部を変更せざるを得なくなってしまったので、今度は、そのようなことのないように、肝に命じておきます。
「教えることによって、学ぶ」という言葉があるように、新たな学びが経験出来るよう、工夫して、当日を迎えたいと思います。
宮城県塩釜産の生の本鮪(ほんまぐろ)と真梶木(まかじき)
今朝、東京・豊洲から届いたのが、
宮城県塩釜産の生の本鮪で、獲れた海域つまり、漁場(ぎょば)は、
日本太平洋沖合北部でした。
今回のお話しは、この本鮪についてではなく、塩釜繋がりで、先週の水曜日の沼津魚市場でのことが、今回のお話しです。
その日、
沼津魚市場には、
塩釜産の真梶木(まかじき)が、
入荷しており、
産地のシールが貼られていました。
ご存じのように、真梶木は大きな魚ですので、現地でセリ落とした荷主が、
頭の方である上(かみ)、
胴体付近の中(なか)、
尾に近い下(しも)と、半身を3つに分けて、送ることもあります。
そんな真梶木は、冬が旬の魚で、昨年の暮れには、
川崎北部市場から、千葉県銚子産のものを仕入れ、それについては、こちらをお読みください。
その時にお話ししたように、真梶木を最後に食べたのは、10年以上前のことですが、今が旬ということもあり、下手な鮪よりも、ずっと上で、お客様の御予約の状況に応じて、仕入れる魚のひとつにしました。
そんなこともあり、先日の入荷状況については、素通り出来ず、浜値などについても、荷受けの人に訊いたりもしました。
そして、川崎北部市場の鮪屋の社長に、写真と共に、「すぐに使うのには、良さそうな魚だけど、安物買いの何とかになりそうな感じがしたんですけど・・・」と送ると、返信には、「南方系の魚だと思います。」と、ありました。
ちなみに、カジキ類は、大型の魚なので、扱うのは鮪屋の領域で、太物とか大物と、水産業界では言われています。
餅は餅屋ならぬ、鮪は鮪屋で、写真だけで、その漁場まで想像がつくのは、恐れ入った次第で、「漁場は、ベトナム、インドネシア、バリ方面です。」とのことでした。
カジキ類やマグロ類に限らず魚は、水揚げされた漁港よりも、その漁場の方が重要です。
その違いが、結果的に味の違いになるゆえ、「素材に勝る味付けなし」と言われるように、素材への飽くなき探究心を失うわけにはいきません。
家庭科の授業で、鰯(いわし)の手開きをする訳とは・・・
明日、次女が通う中学校の家庭科の授業で、
鰯の手開きの試験があるので、今夜は、
その最終チェックをしてあげることにしました。
鰯は、『鰯の丸煮』に使うもので、この課題を知った時に、何本か冷凍しておいた真鰯です。
頭を取り、
水洗いをしてから、
開くのですが、
今日で3回目ということで、
開き終えた鰯は、このような状態で、何点もらえるのやら・・・。
ところで、この課題を知った時、自分が思ったのは、「何故、家庭科の授業で、鰯の手開きをするのか?」ということでした。
娘の教科書を開くと、
鰯を使った料理として、
かば焼きと、
つみれ汁が載っており、これらの下に、
手開きの方法が載っていました。
実を言うと、自分は、娘に教えるまで、手開きをしたことがありませんし、これまで、その必要性がなかったというのが、正確かもしれません。
なぜなら、包丁を使った方が早いし、きれいに仕上がるからです。
手開きをしても、腹骨を取るには、包丁でなければ、出来ないことを考えると、手開きは、無意味な仕事でしかありません。
さらに言うと、人間の体温で、鰯を持てば、鮮度は否が応でも、落ちるわけで、その点でも、無意味です。
また、料理の基本は、包丁を使うことですから、それなくして、手開きをするのも、無意味です。
包丁の使い方を覚えるのに、基本が何なのかは言えませんが、キャベツの千切り、葱の小口切りなどが、それにあたり、これらが出来れば、一般の方なら十分と言えます。
最近では、スーパーの鮮魚売場では、魚を卸してくれるので、その方が、片付けの点でも、ずっと効率的です。
魚を卸すには、出刃包丁が必要ですし、それを使う頻度を考えると、家庭で魚を卸すことほど、非効率であるのは、言うまでもありません。
家庭科の担当の先生というより、教科書の著者である方達は、何をもって、鰯の手開きを教科書に載せたのでしょう?
これら以外にも、鰯を扱うことへの疑問があります。
料理が出来ない中学生に、鰯の手開きをさせ、ボロボロにしてしまうことは、或る意味、食材への冒涜としか思えません。
少なくとも、娘が開いたボロボロの身を見て、
料理をする気にはなれません。
また、鰯を手に入れるには、漁師の人達が獲ってくれるからで、時化の時などは、命がけで漁をしているのです。
彼らが、そんな鰯を見たら、どう思うのか、想像に難くありませんし、自ら魚市場に通い、懇意にしている漁師の方も何人かいて、それを思うと、気の毒でなりません。
少なくとも、自分の作った料理が、残されたり、ぞんざいに扱われたら、嘆かわしいのは、言うまでもありません。
どんな食材でも、一次産業である水産業、農業、畜産業などの産物である以上、粗末に扱うことだけは、料理人として、許すことが出来ないのです。
さらに言えば、一次産業なくして、食というものはあり得ないのです。
命ある鰯が、ボロボロにされ、美味しく食べてもらえなければ、鰯も浮かばれません。
ご存じのように、人間は、他の命を頂いて、自らの命を成り立たせる罪深い生き物で、そうである以上、食材を粗末にすることは、許されることではないのです。
命を頂くからこそ、食事の前に、「いただきます。」と言うのであって、作ってもらった人や、もてなしてくれる人への言葉ではありません。
家庭科という授業が、どのような意図があるのかは、全く分かりませんが、少なくとも、実生活に役立てるようなことを取り上げて欲しい限りで、授業のための授業でなくなって欲しい限りです。