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誰の世話にもならない

料理が好きで料理人になり、3分の1世紀が経ち、誰が名付けたのか、熱血料理人。

3408回目の今日も、 料理への想いをはじめ、日々の出来事を、 日本料理店『佳肴 季凛』店主兼熱血料理人の志村弘信が認(したた)めさせて頂きます。

今日(9月7日)の夜8時半過ぎ、齢92の祖母が、“あちら”へ。

92歳ゆえ、軽い“!?”的な言葉を発しても、普段の生活には何ら支障もなく、一昨日も、実母と共にやって来て、女将兼愛妻(!?)の真由美さんと2人の娘達と談笑していました。

実母によれば、明くる日の昨日、朝食を食べた後、急に立てなくなり、横になったら、意識不明に陥り、救急車に乗せられ、病院に一泊二日してから、一世紀近く住んだ家に。

所謂(いわゆる)おばあちゃん子だった自分にとっては、色んなことを思うのですが、女将兼愛妻(!?)の真由美さんと一緒になり、娘達が産まれると、祖母は3人の女親分が如く、振る舞うようになりました。(笑)

というのも、祖母は、女4人、男1人の長女だったからで、しかも、嫁である実母が使いっ走りとなれば、向かうところ敵無し。

そんな振る舞いが出来たのも、孫である自分の可愛さや愛情が、別のところに向かっただけで、自分としては、嬉しい限りでした。

ところで、祖母は、亡き祖父と共に、食堂を営み、祖父亡き後は、細々ながらも、実母と共に、典型的な嫁姑のスタイルで、仕事をしていたのですが、自分が幼い頃は、40代だったこともあり、血気盛んで、付き合いで出掛け、酔っ払って戻った祖父に、鍋や皿を投げつけた様子は、今でも鮮明に覚えています。

しかも、口癖は、「私に文句があるのかい?私は、誰にも迷惑を掛けないし、世話にもならない!」で、昭和一ケタ生まれを地で行くような面がありました。

とは言え、寄る歳の波には勝てないながらも、実母に対しては、女帝そのもので、「私は、誰の世話にもならない!」を、日々連発。

卆寿を超えると、先程お話ししたように、普段の会話でも“!?”が出て来たので、「デイサービスにでも、行ってみたら・・・?」と、誰かしらが勧めても、「私は、そういうのがダメなんだよね。何なら、私の代わりに行ってみれば。」という始末。

そして、先程お話ししたように、一泊二日の外泊から戻って来たら、三途の川を渡るべく片道切符を手にし、“あちら”へ。

想うところは、半世紀分あり、それよりも、祖母の背中におんぶされ、厨房で仕事をする姿を見ていたことが、自分の原風景で、これまでの祖父への想いだけでなく、これからは、祖母のそれも背負い、明日からも、厨房に立ち続けます。

なお、こんな状況ゆえ、明日から日曜日までは、御注文を頂いているお弁当を除き、お休みさせて頂きますので、くれぐれも宜しくお願い致します。

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