築100年超の古民家で、祖父を偲ぶ
2026年4月14日
Vol.4872

いらっしゃいませ
マクロビオティック
(玄米菜食)を
基本に据えた
“身体に優しい
美味しい日本料理”
を信条とし
魚菜食文化でもある
和食文化を
支えてくれる漁師の
代弁者として
静岡県富士市の
日本料理店【佳肴 季凛】の
志村弘信が認(したた)めます
きょうのお話しは

母方の祖父をはじめとする
ご先祖様のお墓参りについてです
祖母の施設を後にし
向かったのは

祖母が数年前まで
住んでいた
母の生家でした

ここからは
甲府の市街地
そして、遠くには
八ヶ岳が見えるのに対し

母の生家周辺は

山があっても

山梨県を地で行くような場所です
また、祖母の親族は
母しかおらず
ここを相続する人もいないので

人手に渡り
今では
他人の家です
嫁いだ時には
既に、この家があり
築100年とも200年とも
祖母から
聞いたことがあります
見ての通り
屋根の一部が高く
窓が大きいのは
養蚕(ようさん)農家だったからで

自分が小学校低学年くらいまでは
まだ、お蚕(かいこ)さんを
飼育していました

ご存じの方も
いるかもしれませんが
お蚕さんとは
カイコの敬称で
家畜化された
唯一の昆虫です
興味がある方は
お調べください
ここから歩いて
すぐの所にあるのが

この界隈の
共同墓地です
クマの出没が
話題になる昨今にして
出て来そうな雰囲気ですが
今のところ
この周辺では
そのような情報はない
とのこととは言え

不安はぬぐえません

親族は母しかいないものの
祖母の施設に
来る度に
お墓参りをしてくれているので
荒れ果てることもないのは
有難いものです
ご先祖様数人が
埋葬されており
その中でリアルに知っているのは
祖父、叔父、祖父の親戚の
3人です
祖父は
自分の小学校の運動会には
祖母、叔父と共に
わざわざ来てくれたり
実家の商売(食堂)が
忙しかった幼少の頃(3歳頃)には
静岡まで来て
自分の子守りを
してくれたこともありました
学校の先生をしていたので
大学の受験勉強をしていた当時
自分の志望校を知った祖父は
かなり驚いていましたが
残念ながら
そこには
現役、一浪、二浪と
三度も振られ
一浪と二浪と
二度受かった明治に進み
大学時代に始めた
鮨屋でのアルバイトがきっかけで
料理人になった自分です
人生万事塞翁が馬
と言われるように
一浪して
明治に行っていたら
料理人には
なっていなかったでしょうし
三度の受験の結果
第一志望校に行っていても
然りのはずです
ただ、職業に関しては
独立、起業を
一つの目標にしていたので
今のオーナーシェフという立場は
目標通りだったのは
間違いありません

母の生家で
忘れられないのが
この位置です
というのは
子供の頃は
祖父母、時には叔父も
ここから見送ってくれ
叔父に先立たれ
独り暮らしになった祖母も
ここから
見送ってくれたからです
老い、病、そして死は
須(すべか)らく訪れ
避けることが出来ないものですが
かつて祖父が注いでくれた
無償の愛情のように
誰かの心に残る
深い味わいを
ひと皿ひと皿に込めることが
自分の使命に他なりません
墓前に手を合わせながら
そんなことを思った
春の日でした

「今日のブログは
親方の一人語り
だったねぇ」
と、熱血君
「そうだよ

だから、今日のカテゴリーは
志村の“独り言”じゃん」
と、返しました
「なるほどね~」
「明日は、いつもらしい
ブログの予定だよ」
「わぁ~い
楽しみ♬」
















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