西京漬用の鰤(ぶり)などなど・・・
今朝は、沼津の魚市場へ、
仕入れに行って来ました。
この売場の隅に、
静岡県由比産のさばふぐが入荷しており、目星をつけ、活魚売場に行くと、
同じく静岡県土肥産のひがんふぐが、
入荷していました。
ただ、赤目と書かれているように、ふぐ類は、地方により、呼び名が異なることがあるので、色んな意味で、注意が必要です。
もちろん、自称“富士市で一番ふぐが好きな料理人”ゆえ、ひがんふぐも目星をつけ、どちらも仲買人と作戦を立て、別の売場に向かいました。
最初の売場で、
島根県産の鯵(あじ)を、仕入れましたが、刺身にすることが出来る鮮度のものですが、殆どの場合、鯵は、揚物に使っていますし、そういうものを加熱すると、刺身以上の美味しさを引き出すことが出来ます。
この次に向かった売場で、
良さげな長崎産の鰤(ぶり)が入荷しており、
丸々と肥えていたので、えらを見てみると、
鮮やかな赤い色をしており、
この9,2キロのものを、団体のお客様の焼物用に仕入れることにしました。
先程の鯵同様、このような鮮度のものだからこそ、加熱することで、旨味が増すのであって、鮮度が落ちたから、加熱しても、素材の真価を引き出すことは、どんな凄腕の料理にでも、不可能ですし、素材に勝る味付けはありません。
ところで、スーパーの鮮魚売場に行くと、養殖の鰤という表示を目にすることがありますが、本来、鰤というものは、天然ものだけの呼び名で、養殖の鰤という呼び方は、正しくはありませんし、わかし、いなだ、わらさ、鰤と、大きさにより名前が変わる天然ものとは異なり、本来、養殖ものは、小さくても大きくても、はまちという呼び名しかありません。
ちなみに、出世魚というのは、成長するにつれ、呼び名が変わる魚と言われていますが、元々は、4度変わらないと、出世魚とは呼ばれていませんでした。
その理由は、ある歴史上の人物にちなんでおり、その人物とは、豊臣秀吉で、下層農民の出自でありながら、最終的には、天下統一を成し遂げた武将と知られ、日吉丸、木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉と、4回名前が変わり、それが出世魚の語源なのです。
脱線しかかりましたが、軌道修正し、お話しを戻します。
その後、ひととおりの仕入れを終えた頃、セリが始まる時間となり、
目星をつけていたさばふぐを、セリ落としてもらうことが出来ましたが、ひがんふぐは、予想以上の高値に、撃沈・・・。魚市場から帰ることにしました。
『佳肴 季凛』に戻り、
小肌(佐賀)の仕込みの後、鯵の下拵えに取り掛かりました。
ところで、小肌は、新子、小肌、なかずみ、このしろと名前が4回変わるにも関わらず、出世魚とは呼ばれません。
というのも、成長するにつれ、市場価格というか、商品価値、つまり値段が下がるので、出世しないからです。
鯵の頭とはらわたを取り除いたら、
さばふぐの下拵えに取り掛かり、
鯵の水洗いを、女将兼愛妻(!?)の真由美さんに任せ、さばふぐの次に、
鰤に取り掛かることにしました。
鰤は、鱗が細かいので、
包丁を使うすき引きという方法で、鱗を取ります。
その後、頭を落としたのですが、
9キロを越えるものですので、
その目方は、
2キロほどで、この鰤は、活締めのものですので、
脳天には、神経を抜いた跡があり、こうすることで、死後硬直が遅れ、身の鮮度が保たれるのです。
水洗いし終えた鰤を、
卸すことにしたのですが、
冬が旬とはいえ、身は乳白色を帯びているように、脂が十分乗っており、その頃、真由美さんは、
さばふぐの下拵えをしてくれていました。
その後、
砂ずりと呼ばれる腹の部分を切り落としたら、
柵取りをして、
切身にしたのですが、一切れあたりの目方は、
100グラム弱でした。
それまでには、
さばふぐの水洗いだけでなく、鰤のあらや中骨の部分を、
出汁を取るため、こんがりと焼いておき、ランチの営業時間となりました。
そして、ランチの営業が終わったら、先程の切身を、
お手製の西京味噌と共に、西京漬にしておき、冷蔵庫へ。
ひととおりの仕込みも終わったので、
お昼御飯にしたのですが、鰤&鯵丼にしましたが、ちなみに、鰤も鯵もブリ科の魚ですので、いとこ丼という呼び名も、ありかもしれません。
やはり、市場に行くと、おかずなどに、魚を食べることが多くなり、今日も然りでした。
魚市場は仕事場ですが、自分にとっては、或る意味遊び場で、ついついこちらの方に、重きを置いてしまいますし、早出出勤手当というこにしておきます!?
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